1994年に地域保健法が制定され、全国の保健所の削減が進みました。不健康都市日本一の大阪市では、市民のいのちと健康を守る砦としての保健所を残して欲しいと1995年11月に
「保健所を守る大阪市民の会」が発足し、保健所応援団の活動を始めました。初代会長は、大阪大学医学部衛生学元教授の丸山博先生が務めました。65万枚のビラを配布し、旺盛な
宣伝活動を行うとともに、厚労省交渉を5回、大阪市交渉や申し入れを17回繰り返しましたが、残念ながら2000年4月に、大阪市の保健所は1つに統合されてしまいました。
広大な大阪市に保健所が1つしかないようでは、絶対に問題が起こるという懸念は当たり、集約化してから僅か3カ月後には集団食中毒が発生した他、新型インフルエンザなど多く
の問題が発生しました。やはり住民に身近な保健所であってこそ、いのちや健康が守られるのだと思います。
大阪が全国で先駆けて「保健所つぶし」を強行したことで、兵庫や京都などの周辺でも次々と保健所が無くなっていったことは本当に残念でした。それでも私たちの「保健所を守る
大阪市民の会」はあきらめず粘り強く戦っていくことを決意しました。現在は大阪府保険医協会の井上賢二副理事長に会長を務めていただき活動を続けています。
元々保健所は大阪市の各区に設置され、専任の医師が所長となって、行政権も有していました。
それが市内の保健所が一つに集約化され、各区の保健所が保健福祉センターへと格下げされたことによって、権限が無くなってしまいました。医師も専任ではなくなり、常駐してい
ません。そのため、医師の判断のもとで迅速に動くことが出来なくなりました。
また、保健福祉センターではこれまで保健所として独自に行っていた支援事業などが出来なくなりました。それまでは保健師が地域で困難を抱える子ども一人ひとりのことを把握し、
フォローが出来ていたことも行えなくなりました。
https://osaka-hk.org/posts...【新型コロナ】大阪市の保健所は僅か一カ所%E3%80%80住
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