八幡神社 祭神 = 誉田別命(ほんだわけのみこと ほむだわけのみこと)=応神天皇
〒266-0005 千葉県千葉市緑区誉田町1-655
千葉県を走る「外房線」に「誉田駅」(ほんだえき)がある。その誉田の地名の由来が、誉田別命=応神天皇から来ている
とのこと
倭の五王・・讃(賛)珍(彌)済 興 武
応神 仁徳 履中 反正 允恭 安康 雄略
この時代から、日本史が、うっすらと史実が見えてくる。朝鮮半島の三韓(馬韓 弁韓 辰韓)百済 任那 新羅
中国の晋→魏晋南北朝 この辺と交易が、外交関係があったから
日本には、正式な文字がまだ存在していないので、記録が残っていない
倭の五王「讃」とされる応神天皇である 戦争大好き神功皇后を母にもち、大和朝廷の急激な領土拡大が始まる。大和盆地から難波の津に権力の基盤を移したのは
神功皇后の時代に海運、交易を盛んに行い始めた。・・・だっけ? 住吉大社の創設も政治の中心としての難波、航海安全の祈願のため
香取大神宮、鹿嶋大神宮もこの時代に 大和朝廷が下総国の有力者と姻戚関係なり、友好関係を結んだ。ここまでは読める。
それで応神天皇は 〒266-0005 千葉県千葉市緑区誉田町1-655 まで行幸されたのでしょうか?
九州 豊前国、宇佐神社=八幡宮の総本社 〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2859番池
八幡宮も祭神は、応神天皇ですよ!九州北部とも関係を持つことに成功した。は理解できる。新幹線も航空機もない時代に、関東から九州まで、凄い行動半径です!
伝承だけというのは厳しいね 聖徳太子、天智天皇の時代まで、文字による記録は待たなければならない のか?
大阪は古代史も面白い 絶対権力を持った天皇の巨大古墳群 残っているのは
現在「難波宮」とされる跡は、天智天皇による遷都からで 残念無念
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