西本幸雄 1933年に野球の名門校だった旧制和歌山県立和歌山中学校へ進学するが、当時は野球部に入れば「勉学をあき
らめる覚悟が必要」だったため入部を諦め、3年時にはラグビー部に所属していた。しかし、4年生の秋、5年生7人
が引退して5人だけになった野球部に入部した。
1938年に旧制立教大学へ進学。学徒出陣により1943年秋に応召。陸軍中尉にまで昇進し、温情に満ちた隊長とし
て部下に尊敬されていた。
1975年5月30日、阪急西宮球場での対阪急戦の試合中に西本が羽田耕一を殴打した事件である。
この年、話題を集めた阪急のルーキー・山口高志に対して、近鉄は打撃投手を前から投げさせるなどの対策を練り、9日前の初対戦では勝利した。この日は先発し
た山口に4回を終わって0-1の状況で、5回表の攻撃前に西本監督は円陣を組ませ、「ワンストライクを待て。高めのボールは絶対に手を出すな」と注意した。しか
しこの回の先頭打者だった羽田は、2球続けて高めのボール球をファウルした後、ショートゴロに打ち取られる。怒った西本は、ベンチに戻ってきた羽田の頬を平
手打ちした。オフのためネット裏から目撃した鈴木啓示は「びっくりした」と述べた。
2015年2月2日に行われた三田学園高校の監督就任会見の際羽田は理想とする指導者として西本の名前を挙げて「本当に厳しい方で、今ではやってはダメだけど、
手を出す方。でもグラウンドから一歩出ると優しくて、面倒見のいい監督だった。当時の選手は誰一人、悪口を言わなかった。そういう選手から慕われる監督であ
りたい」と述べていた。
戦場の鬼隊長にして、球場の鬼監督と評された西本幸雄である。
西本氏告別式で梨田氏「愛情やぬくもり」[2011年11月29日14時6分]
前日本ハム監督の梨田昌孝氏(当時58)が弔辞を読み「厳しくて、手を抜くと殴られ蹴られもしたが、手の先から愛情やぬくもりを感じた」と語りかけた。
高校野球も、プロ野球も、体罰を喜んで受ける。社会全体に、そんな時代が、この21世紀に復活すると思うか?
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