日本ではなぜ二大政党が成立しないのか~55年体制と小沢一郎の呪縛
日本では、55年体制で自民党と社会党の二大政党になったはずが、自民党政権が1993年までつづき、細川政権から橋本政権までは混乱が続いたが、また、自民党政権と群小野党の時代があり、それが2003年に自由党が民主党に合流することで二大政党らしくなり、2009年から2012年までは政権についた。
ところが、2012年の総選挙での惨敗のあと浮上のきっかけをつかめず、2016年には維新の党と合併して民進党となり、2017年には希望の党に合流する騒動のなかで空中分解した。そして、2017年の総選挙ののちは、立憲民主党が野党第一党になっているが、政権交代のめどはまったくない。むしろ、立憲民主党は55年体制のもとでの社会党のような存在になっている。
小沢一郎の迷走はどこから始まっているのか思い出そう
それでは、どうして二大政党が機能しないのかと云えば、「55年体制の呪縛」と「小沢一郎の呪縛」があると思うのだ。
「55年体制の呪縛」というのは、自民党が憲法改正を唱え、社会党が政権奪取でなく憲法改正阻止を主目標としたことに起因する。つまり、両院で三分の一を確保すれば社会党にとっての勝利だったからだ。もうひとつは、ベテラン議員たちが議席を確保し、失業しないようにするためには、それで良かったのだ。そして、三分の一の議席を確保するためには、かなり左寄りで非現実的な政策を掲げた方が、安定的に得票を得ることができた。
「小沢一郎の呪縛」というのは、1993年の離党の経緯からきている。宮沢喜一が政治改革に熱心でないと内閣不信任案に賛成した。6月18日、野党から宮沢内閣不信任案が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決、宮沢内閣は衆議院を解散した。このときに小沢は必ずしも離党する気はなく、政局の主導権を握りたかっただけともいわれるが、同年6月21日に不信任案には反対したうえで、武村正義らが自民党を離党して新党さきがけを結党した。こうなると、小沢らは党内に留まることが難しくなり、小沢らは6月23日、新生党を結成した。
そして、小沢は細川政権を樹立したが、その後、自民党への復帰を実質的に狙ったこともある。自由党時代の1999年に自自連立政権が発足し、与党へ復帰した。1999年10月、公明党が政権に入り、自自公連立政権が成立。小沢は小渕総理・総裁に自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求したが、小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ」とし、小沢・小渕は2000年4月1日に会談するが、連立は解消され、この時の興奮も一因となったらしく小渕は脳梗塞で倒れ、5月14日に死去
これで、小沢の自民党復帰は可能性がなくなり、その結果、上記の2003年の自由党が民主党に合流する伏線に
https://go2senkyo.com/articles/2021/03/25/57444.htm...
返信する