人なんて10人いたら10通りの考えがあるわけで、ましてや政策と論じる政治家ともなれば尚の事。
で、結党当時の陣容を、ここでは敢えて保守と表するが、最も保守寄りを長島昭久とすると
その対極は、赤松広隆や阿部知子らの(旧)社会党出身者でミスター年金の長妻昭や野田佳彦らは
限りなく長島昭久らに近い中道路線。
まぁ、長妻昭や野田佳彦らは9条改正に賛成、対北朝鮮は対話よりも圧力としていたので・・
で、そんな人達が護憲運動の権化、非武装中立、圧力よりも対話な人達と新党を組んだのが立憲民主党ね。
あまりにも野合だろ?だって共産党と組むなんて言ってるぞ?
と、居残ったのが玉木雄一郎、古川元久、大塚耕平らなわけね。
そもそも希望の党から排除され、あるいは大臣経験や役職経験者故に小池の軍門に下る事を潔しとしない
そういう人達の集まりに加え、政策面で水と油な集まりになる懸念を、赤松広隆は
「比例代表の惜敗率で救済されるためには新党を結成した方が良い」との理由で一蹴したのは発言として
各所の記録に残っている。
結果、水と油、選挙対策で結成された党なわけで、これも事実として記録に残っている発言だが長島昭久は
立憲を離れるに際して
>「党内ガバナンス」で一致結束し、「アベ政治を許さない!」と叫ばされるだけであったこと、
>過去に党が容認していた消費税、TPP、ACSA(物品役務相互提供協定)、秘密保護法制、安保法制、
>憲法改正論議、共謀罪等について、全て反対、徹底抗戦、廃案路線に変更したこと、
>建設的な提案もないままに「行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ」
>行動を求められた
としていて、昨今、巷間言われる立憲の姿そのものを言い当てていたわけだ。
空中分解はよいとして、またぞろ看板だけ変えて烏合の衆で徒党を組むのか?流石にそれはないよな?
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