満州国(その五族協和と王道楽土の:建国理念) 多文化共生の先駆け


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001 2022/01/31(月) 23:10:27 ID:9R/rUdyzfo
多文化共生が、
「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」
という総務省の定義ならば、その先駆けともいえる大日本帝国がプロデュースした満州国の五族協和と王道楽土の理想も多文化共生と認めるべきだろう。
特に五族(漢・満州・モンゴル・朝鮮・日本)が仲良くやっていこうという崇高な趣旨に反対する左翼はいない筈であり、当然在日韓国人・朝鮮人にもいない筈であり、
「ヘイトだ」「レイシズムだ」と概念乱用する者にもいない筈である。
多文化共生と称する21世紀の五族協和と王道楽土、現代の五族協和と王道楽土を絵空事にしないためにも実現すべきだろう。

絵空事に終わった五族の共生
https://www.asahi.com/international/history/chapter0...

五族協和 (満州国)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%97%8F%E5%8D%...

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002 2022/01/31(月) 23:48:37 ID:JrBQB70IZE
実質、日蓮宗が裏で支配する国家

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003 2022/02/01(火) 01:33:01 ID:KpB/uEEesA
山海関 と明代に名付けられることになった長城最東端の関
ここよりも外の土地という意味で「関外の地」関よりも東の土地という意味で「関東」

17世紀に女真族から名称変更した満州族が後金を起こして同地を統一支配した後、国号を改めた清朝が明に代わる
やがてロシア帝国の南下の動きが激しくなり、ロシアと清朝との間でこの地域をめぐる紛争が数度起きた(清露国境紛争)

日清・日露を経て満洲国は事実上日本の支配下となった。日本は南満洲鉄道や満洲重工業開発を通じて産業投資を行い、品種改良で寒さに強い品種を植えることで不毛の地ばかりだった満州に農地が多数開墾され、荒野には工場を建設して開発した。満州で治安が良くなり、交通が開け、貨幣が統一された。満州国建国以前の満州では、軍閥が独自紙幣を発行し、奥地になるほど治安が悪く、農民は安心して耕作ができなかった。満州国は統一した通貨を発行して、満州各地で流通させたことで信頼のある貨幣経済が成立した。

>日本が満洲を奪ったと教える。
しかし歴史上満洲が支那の一部であった事実は未だ一度もなく、逆に支那本土が満洲の属国であった歴史上の事実がある位である Sidney Lewis Gulick

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004 2022/02/01(火) 01:53:22 ID:KpB/uEEesA
[YouTubeで再生]
満州、1920年代

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005 2022/02/01(火) 03:51:11 ID:TcAG7XjEO2
キッシンジャー 「国家に真の友人はいない」

チャーチル「我が国以外は全て仮想敵国である」

マキャべリ 「隣国を援助する国は滅びる」「権力を持った人々の間でも、最近に与えた恩恵によって、前の怨念が消えるなどと思う人がいたならば、その人は取り返しのつかない誤りを犯すことになる」

まず国同士の関係性で対等はありませんから。対等を求めるから戦争が起きてしまうんだよ。
「友愛の海」なんて言葉を使うのは日本の総理大臣だけですから。実際はどの海も血みどろなんだからさ。日本の政治のトップがそんなこと言うんだから、いかに日本が建前の国かが分かるよね。

―押井守「友だちはいらない。」―

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006 2022/02/01(火) 05:41:59 ID:ZMO2RgP1D2
今や弥生人の源鄉だからな。
さらに南下して長江下流域までが日本人の故郷。

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007 2022/02/01(火) 12:57:12 ID:KVsdLCm.xs
起源がどうのというのならみんなアフリカ人。

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008 2022/02/03(木) 19:36:43 ID:8C1lKvqOUM
泥棒市場 

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009 2022/02/03(木) 21:02:58 ID:TIxXwl5m2Q
元々、清の国は満州民族が作った国。
その最後の皇帝である愛新覚羅溥儀が殺される前にイギリス人の家庭教師の助けで逃げ出した・
ところが、イギリスも国際問題化を恐れて知らんぷり。
困った彼らは日本に助けを求めて、保護した日本が満州国を作って援助した。

これのどこがおかしい?

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010 2022/02/04(金) 08:33:39 ID:wCY.92Rn6M
満洲事変前は満洲地域は日本人が容易に扶植されなかったようだね。
棄民政策でもあったから政府肝いりで押し込むが、現地中国人の根強い抵抗に遭って成功しない。
かろうじて鉄道周辺(いわゆる付属地)だけである。
しかし、醜業婦とい阿片の売人だけは日本人でも堂々と入り込んでいけた。
同時に中国人は他国にはどんどん自分たちが移民していった。ただし、苦力としてである。
どうして中国人やインド人のように男子苦力が海外に押し出されていかなかったのか?
苦力は黒人奴隷t代用物だったからだ。
その意味では日本はすでに近代化しすぎており、別の意味では近代化したから性の商品化も捗った。
大量の苦力により、売春ニーズが世界的に高まると、日本から「からゆきさん」が稼ぎに飛び出すという構図。 

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011 2022/02/10(木) 20:50:12 ID:0cA//5eEc6
満州ってまんま今の東京そのもの。

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