まあ投票所に足を運びさえすれば、自ずと国民審査の用紙も手渡されるので、
忘れることはあり得ないわけだが。そもそも一般有権者に、最高裁判所裁判
官の審査をさせることには無理がある。まず圧倒的に情報が不足しているし、
かりに情報を提供されても、そこまで熱意をもって裁判官のことを知ろうと
する有権者もいないのが現実だ。従って、この国民審査の制度は単なる形式
にすぎず、実際上の意味はないと言える。事実、国民審査で免職になった裁
判官はこれまでにいない。本来なら、国民の中から選ばれた、知見と熱意を
持った有識者によって審査がなされるのが最も望ましい。しかしそれが実現
されることは恐らくないだろう。なぜなら、それを一番嫌っているのは裁判
官自身だから。もしも識見のある人物に審査されたら、いい加減な判決を下
すことが許されなくなる。自らの保身のために、間違いなく司法が一致結束
してそのような制度には反対する。しかも、彼らには反対する「錦の御旗」
がある。それは「全ての国民」の司法への参加だ。これを言われるとアホな
マスコミや政治家は、ころっとだまされる。かりにおかしいと思っても、錦
の御旗の前には平伏してしまう。
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