たとえば昨年には、政府の裁量労働制データ改ざん問題を追及されて「私の場合は、もちろんこの予算について、森羅万象全てのことについて
お答えをしなければならない立場ではありますが、全てのことについては、しかし、それは全て私が詳細を把握しているわけではありません」
(2018年2月20日衆院予算員会)と居直り。その前年にも、森友・加計学園問題に関して「丁寧な説明」がされていないと詰められて「政府が
取り扱っている森羅万象全てを私が説明できるわけでは当然ないわけでございますから」(2017年11月28日衆院予算委員会)などと
のたまっていた。
ようするに、安倍首相はどうも「森羅万象」という言葉を“いっぱいやることがあるからチェックしきれないんだよ、許してね、テヘッ”という
文脈で使っているらしいのだ。
安倍首相といえば、「云々」を「でんでん」、「背後」を「せご」と読むなど、日本語の基礎知識がないことで有名だが、しかし、この
“森羅万象担当発言”はたんなる無教養という問題だけではなく、安倍首相の傲慢な姿勢が漏れ出たものではないのか。
事実、安倍首相は“思い上がり”というレベルをはるかに超えた、自分を絶対的な権力者だと勘違いしているとしか思えない発言を連発してきた。
たとえば2016年、2018年など数回にわたって国会で「私は立法府、立法府の長であります」と宣言。総理大臣は行政府の長であり、まさかの
三権分立ガン無視発言を何度指摘されても繰り返している。2017年の防衛大学卒業式では「警戒監視や情報収集に当たる部隊は、私の目であり
耳であります」「諸君のなかから最高指揮官たる内閣総理大臣の片腕となって〜」などと訓示して、明治天皇が軍に下した「軍人勅諭」さながらの
言い回しで話題になった。
なにより忘れてはならないのは、2015年安保国会での党首討論で言い放った「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。
私は総理大臣なんですから」だろう。言うまでもなく、安保法制は多数の憲法学者から違憲という指摘がなされ、法案の中身もめちゃくちゃな
代物だった。ところが、そうした批判に対し安倍首相は「総理大臣なんだから正しい」と断言、まさしく“俺こそが法だ”という法治主義の根幹を
揺るがす発言だった。
ほかにも、安倍首相はことあるごとに「私が最高責任者」と繰り返すが、昭和史研究の第一人者である作家・保阪正康は、この安倍首相の口癖を、
日本を狂気の戦争に駆り立てた東条英機と同じものだと分析している。
「安倍さんは国会の答弁でよく“私が責任者ですから”と言うでしょう? あれは東条の言い方と同じなんですよ。政治権力の頂点にいる者が威張り
散らすときの言葉で、東条は“俺に逆らうな”という恫喝の意味を込めてよく使いました。あんな言葉、普通の政治家は使いませんよ」(日刊ゲンダイ
2016年2月19日付)
(続く)
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