戦前の政党政治や立憲制を形骸化させ、国家総動員体制や統制経済を推進した「革新官僚」やその共鳴者たちは、戦後、単一の政党に集約されたわけではありません。
彼らの政策思想(経済統制・産業計画)や人的人脈は、戦後の民主化プロセスを経て「自由民主党(保守勢力)」と「日本社会党(革新勢力)」という、一見対立する二大勢力の双方に分流・吸収され、戦後日本の政治・経済体制の基盤へと変貌していきました。
■自由民主党(保守派・官僚派への変貌)
革新官僚の中心的グループ(経済・産業・企画院系)の多くは、戦後、保守政党(自由党、日本民主党、および後の自由民主党)へ合流し、政権の「政策立案中枢」を担いました。
革新官僚から首相へ(岸信介の系譜)
商工官僚として満州国や戦時統制経済を指揮した革新官僚の代表格・岸信介は、戦後に政界へ復帰し、日本民主党幹事長を経て自民党を結党、首相(1957–1960年)となりました。
「保守合同」と「官僚派」の形成
岸のほかにも、池田勇人や佐藤栄作といった官僚出身者が自民党の主力派閥(官僚派)を形成しました。
戦後日本型経済システムの形成
彼らは戦前の「国家社会主義・計画経済」の理念からイデオロギー色(軍国主義・反資本主義)を排除し「高度経済成長政策」や「護送船団方式」「通産省による産業政策」へと再構築しました。戦後の自由民主党主導による官僚主導型資本主義(開発主義国家)は、革新官僚が目指した統制・計画経済の実質的な「戦後版」と言えます。
■日本社会党(革新勢力・右派への変貌)
政党政治の時代(1930年代)に革新官僚の思想(統制経済や反既存資本家)に共鳴した社会大衆党などの「革新派(無産政党右派)」や、企画院事件などで弾圧・検挙された左派系官僚・経済学者たちは、戦後に結成された日本社会党の主力となりました。
社会大衆党系の合流
戦前に「国家社会主義」的アプローチで軍部や革新官僚と結びつき、新体制運動(大政翼賛会)を推進した社会大衆党の幹部(浅沼稲次郎、三輪寿壮など)は、戦後に日本社会党右派の結成の中心となりました。
統制経済と社会主義計画経済の親和性
革新官僚が導入した「国家による産業・物資の統制」という手法は、社会党が掲げた「社会主義的計画経済」や「基幹産業の国有化」の構想と論理的にきわめて親和性が高いものでした。
企画院系・革新官僚の転身
戦時に経済統制を計画した企画院の革新官僚やブレーン(勝間田清一、和田博雄など)は、戦後の社会党で政策通として活躍し、勝間田は後に社会党委員長に昇格しました。
■以上、戦後左派政党・社会盗に比べれば自由民主党の方が明らかにマシ
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