[YouTubeで再生]
来々軒(らいらいけん)は、東京府東京市浅草区浅草新畑町3番地(現在の東京都台東区浅草1丁目辺り)にてラーメンを提供していた大衆的料理店である。
「東京ラーメン(醤油ラーメン)」の草分けであり、ラーメン店の原点でもある。
1910年(明治43年)に初代・尾崎貫一が横浜中華街の中国人(広東省出身)12名を招き、浅草公園に来々軒を開業する。当時、すでに存在していた中国料理店とは違って
庶民的な店であり、ラーメン、ワンタン、シュウマイなどを初めて提供した。中華丼や天津飯の発祥店とも称されることがある。浅草の来々軒は1944年(昭和19年)に閉店
したが、戦後の1945年(昭和20年)に東京駅八重洲口に新たに店を構えた。しかし、創業家の3代目にあたる尾崎一郎には後継者がなく、1994年(平成6年)に閉店した。
また、来々軒で働いていた傅興雷が1933年(昭和8年)に独立して大森(後に目黒区祐天寺に移転)に開業した来々軒が現存する。2020年には創業者の子孫の協力を得て
「浅草来々軒」が新横浜ラーメン博物館でオープンした。今後は発祥地でもある浅草に店舗の復活を目指している。
【新横浜ラーメン博物館】20年がかりで復活させた伝説のラーメン「淺草 來々軒」食べてきた!【年パスが500円】Shin-Yokohama Ramen Museum
https://www.youtube.com/watch?v=3Lu6HxNpix... 中華麺は日清製粉(1900年(明治33年)10月 - 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)に館林製粉株式会社を設立。社長は置かず専務取締役に正田貞一郎。1908年(明治41年)2月 - 館林製粉株式会社
が日清製粉株式会社(初代)を合併し、商号を日清製粉株式会社(2代)に改める。本社を東京市日本橋区小網町2丁目11番地(現在の東京都中央区日本橋小網町)に移転。
上皇后美智子殿下は 正田貞一郎の孫。貞一郎の三男で元社長・会長を継いだ正田英三郎の子。)
ワンタン、シュウマイの生地、当然のこと日清製粉だろうな!
返信する